大判例

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東京高等裁判所 平成5年(ネ)475号 判決 1996年2月29日

控訴人

藤代雅三

右訴訟代理人弁護士

安倍治夫

右訴訟復代理人弁護士

村木一郎

被控訴人

日産自動車株式会社

右代表者代表取締役

辻義文

右訴訟代理人弁護士

長野法夫

宮島康弘

熊谷俊紀

富田純司

布施謙吉

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一  申立

一  控訴人

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人は、控訴人に対し、金三〇〇〇万円及びこれに対する昭和六一年九月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

二  被控訴人

本件控訴を棄却する。

第二  事案の概要

次のとおり付加するほかは、原判決事実及び理由の「第二 事案の概要」欄記載のとおりであるから、これを引用する。

原判決五枚目表末行の次に行を改めて「なお、被控訴人は、本件ASCDを開発した昭和五三年当時、既に定速走行装置に関して、コントローラー内部故障自動検出回路の設定、内部素子の安全設計、車速変動時の自動解除機構の設定(アンダーカット)、車速セット解除機構の二重化、解除状態の保持機構を採用し、ブレーキスイッチを独立した二系統にするなど、当時のASCDのフェールセーフ機構(構成部品に万一故障が生じたとしても、システム全体として安全性を確保するように設計された機構)の技術としては高度の水準を保持していた(乙九)。」を加える。

(当審における新たな争点)

一  控訴人

本件車両には本件事故当時エンジン負圧利用制動補助倍力装置の欠陥による倍力喪失という「サーボ失陥」があった。

本件ASCDの解除機構に異常があったとしても、補助倍力装置にサーボ失陥さえなければ、4.9倍の踏力の増大が期待されるから八キロの踏力でもブレーキペダル比3.8倍(テコ倍力)を経由したマスターシリンダへの油圧インプットは、合計約一二〇キロにも達し、ブレーキを踏めば車輪はロックして車は確実に減速することになっている。

しかし、本件では、エンジンの高回転につれてサーボ失陥が発生していたから、4.9倍の補助倍率はゼロと化して期待できず、八キロや二〇キロの踏力では車輪のロックに必要な限界油圧に到達できず、車はいくらかは減速するが、所定距離では停止または減速できずにそのまま前進する。いわゆる駆動力が制動力を上回る現象である。

本件車両では、本件ASCD回路の中のR48の抵抗の回路基板へのハンダ付けの「浮き」のため等により記憶回路は、車が「上り坂道にさしかかった」と錯覚して、増速を「誤指令」する。このような誤指令現象を被控訴人が純粋電子工学的に否定し去るならば格別、それができないなら解除機構の異常時に車は減速できないばかりか、却って増速することも十分ありうることである。

二  被控訴人

控訴人主張の「サーボ失陥」(ブレーキ倍力装置の失陥)は、控訴人の主張するASCD装置の四つの欠陥が同時に存在して初めて問題となるものであって、これらの立証ができていない本件では何ら意味を持たない。

補助倍力装置の倍力が喪失した場合には、ブレーキペダルは著しく重い状態になり、運転者は重い状態を容易に感ずることができる。ブレーキの著しく重い状態を感じた運転者は、それでも車両が停車できるように更に強くブレーキを踏むことになる。これが倍力装置の喪失状態における運転者の対応である。ところが、控訴人の主張・供述には、いずれの角度から見ても、ブレーキが著しく重かったことを感じさせる部分はない。したがって、本件事故時に倍力機能が減衰していたとは到底認められない。

また、本件エンジン負圧利用制動補助倍力装置には、エンジン側の負圧変動の影響を受けずに安定したブレーキの補助倍力機能を維持するために、エンジンの負圧取り出し口であるインレットマニホールドと補助倍力装置の間に「チェックバルブ機構」(空気の流れを補助倍力装置側からエンジン側への一方向に限定するためのバルブ機構)が備えられており、エンジン側で負圧の低下が生じても直ちにそれが補助倍力装置側での負圧低下に繋がらないような機構になっている。したがって、仮に「サーボ失陥」が起こりうる状況になっても、直ちには倍力は喪失せず、このチェックバルブの機能により倍力は徐々に減衰されるようになっている。控訴人は、車両の増速に気が付いた時に直ちにブレーキを踏んだと主張するが、そうであるならば最初のブレーキングではチェックバルブの機能により倍力装置が働き、充分に減速が可能であったはずである。すなわち、倍力機能が効果的に働く場合には、軽いプレーキングでASCD装置の故障による増速を抑え、減速することができるし、その後、仮に倍力機能が次第に減衰して効果的に効かなくなっても、ブレーキは次第に重くなるものの、より強いブレーキング(最大でも三〇キログラム程度)により減速することができたはずである。

第三  争点に対する判断

次のとおり付加・訂正するほかは、原判決事実及び理由の「第三 争点に対する判断」欄記載と同一であるから、これを引用する。

一  原判決七枚目表九行目の「〇、」の次に「一五、」を同一〇枚目表三行目の末尾に「また、甲第一一号証、第一二号証の一・二、第一六、第二一、第二九号証(日本自動車ユーザーユニオン代表松田文雄作成の各報告書・陳述書等)及び当審における検甲第一号証(ビデオテープ)には、本件車両に本件各瑕疵(本件車両製造上の被控訴人の過失に基づく本件ASCD〔自動速度制御装置〕及びその解除機構の故障ないし欠陥〔(一)トランジスタの故障、(二)供給電圧の不足、(三)抵抗ハンダ付けの不良、(四)ブレーキスイッチSW1の欠陥〕)が存在した旨の記載・収録部分がある。」を各加える。

二  同一〇枚目表四行目から同一二枚目表三行目までを次のとおり改める。

「(四) しかしながら、以下の諸事情に照らすと、前記(一)の事実及び右各証拠によっては本件各瑕疵があったと推認することはできない。すなわち、

①  控訴人は、本件事故当日、事故現場付近まで本件ASCD(自動速度制御装置)を数回セットして定速走行とブレーキペダルによる解除を繰り返してきた旨の供述をしているところ、乙第一〇ないし第一二号証及び証人藤木憲夫の証言によれば、本件トランジスタがショートした場合には、サーボバルブに最大限の電流が流れる結果、車両は増速することになり、コントローラー端子電圧が一〇ボルト以上であれば本件第一解除機構によって本件ASCDは解除され、同電圧が一〇ボルト未満に低下すると本件解除機構は機能せず、更に同電圧が九ボルト未満にまで低下すると本件ASCDのセット自体ができない状態となり(アクセルペダルを踏まなければエンジンブレーキによって減速する状態となる。)、いずれにしても、必ず定速走行はできないことになることが認められる。

②  乙第三号証、第一二号証及び証人藤木憲夫の証言によれば、被控訴人が、本件車両と同型車について控訴人主張の本件各瑕疵を発生させ(コントローラー端子電圧は9.6ボルトの状態)、本件事故と同様の状況を再現して行った実験では、時速約七〇キロメートルで本件ASCDをセットした後、車両は毎秒時速約二キロメートルの増速をし、時速約八〇キロメートルとなった時点で踏力約八キログラムの強さで制動措置を講じたところ、約六秒後には時速約四五キロメートルまで減速するという結果が得られたことが認められる。

③  本件車両に供給電圧の不足があったとの控訴人の主張の根拠は、ファンベルトにスリップの不良があること、日頃からバッテリーが上がり気味であったこと、当日ヘッドランプが暗かったことの三点であるところ(甲一一、一二の一)、控訴人が電源電圧低下の原因であるとして提出したファンベルト(検甲三)が本件車両に装着されていたファンベルトであり、かつ、このファンベルト自体に機能の欠陥があったことを認めるに足りる証拠はなく、本件車両は過去にバッテリー上がりの現象を起こしたことがあり、その整備記録上、作業事項としてバッテリー比重、ファンベルト充電系点検との記載はあるが、ファンベルトの異常や充電系部品の交換が行われた形跡はない。(甲七の一・二、九)バッテリー上がりは、フォッグランプ、スモールランプの消し忘れ等の簡単な不注意によっても容易に発生し、他方、充電状況のチェックも通常の整備手続で対処できるものであるから、バッテリー上がりを直ちにファンベルトの異常に結び付けるのは困難である。控訴人は、ヘッドランプの明るさの変化については事故当日確認しておらず、本件事故当時本件車両のヘッドランプが暗かったことを認めるに足りる証拠はない。本件車両には電源電圧と充電系のチェックのため電圧計と充電警告灯が設置されているが、控訴人は、事故当日に電源電圧の低下と充電系の異常を何ら確認・認識しておらず、少なくとも二回本件車両の始動を行ったが、いずれも一発でエンジンの始動ができており(控訴人の供述)、本件事故当時、バッテリーが上がり状態にあったことや電源電圧が低下した状況(9.9V以下)にあったことを認めることはできない。

④  乙第四号証及び弁論の全趣旨によれば、本件トランジスタ(検甲二)は、平成四年一月一六日の時点でショートしていたことが認められるが、本件トランジスタが三極導通(ショート)状態にあったという控訴人側の事故後の調査結果(甲一二の一)は、控訴人から証拠として提出された本件トランジスタ(検甲二)の原審裁判所における測定結果が一極導通(ショート)状態、他の二極がオープン状態(乙四)であった(なお、このような故障状態は、車両の抵抗R59に超高電圧を加えなければ生じないため、トランジスタがコントローラー・プリント基板に装着され車両に搭載された状態では通常起こりえない。)のと異なっており、また、本件トランジスタは、本件事故後、控訴人から依頼を受けた松田文雄によって調査のため本件車両から取り外され保管されていたのであり、その保管状況や行われた調査内容等が不明であることなどの事情を考えると、本件事故当時にショートしていたものと認めることはできず、他に本件トランジスタが本件事故当時Tバールーフからの雨漏りによる湿潤の影響を受けるなどして故障していたことを認めるに足りる証拠はない。

⑤  抵抗R48のプリント基板へのハンダ付け不良についても、検証においてハンダの剥離の状態が明白に認められるまでには至らず、甲第一八号証の一・二の写真ではプリント基板のR2のハンダ付けの接合部分が少し窪んだように見受けられるが、このような状態はハンダコテの熱によって生じさせることも可能であり、また、甲第一八号証の一・二の写真が検証調書記載の写真のプリント基板と同一のものであるかどうかも不明であるうえ、検証調書記載のプリント基板自体も控訴人側によって別のトランジスタが装着されるなど本件車両に搭載されていたときの状況に手が加えられていて、事故当時の状態を把握できず、結局、本件事故当時、本件プリント基板に抵抗R48のハンダ付けの不良があったと認めるには十分でないといわなければならない。更に、本件事故当時、ブレーキスイッチSW1のシリンダー内部に切削屑が混入していたことを認めるに足りる証拠もない。

⑥  控訴人本人尋問の結果及び乙第二号証によれば、控訴人は、本件事故当時、飲食店(スナック)を経営しており、客の接待のため、本件事故発生前の昭和五七年一〇月四日午後八時ころから本件事故日である翌五日午前二時ないし三時ころまでの間に、ビール大瓶を三本ないし四本ほど飲酒し、また、同夜の営業が忙しかったため、同日午前四時四〇分ころに同店の営業を終えたときは体がひどく疲労した状態であったこと、及び、控訴人は、本件事故後、意識を消失して自己が救急車によって搬送された事実も分からない状態になり、控訴人の救助搬送にあたった消防隊員は、控訴人の飲酒を臭い等で認識し飲酒運転と判断したことが認められる。

これら①ないし⑥の諸事情に照らすと、前記(二)(1)ないし(4)の本件車両の故障に関する控訴人の供述のうち、本件ASCD使用時の増速に関する部分及び本件事故時に本件第一ないし第三解除機構が作動しなかったことに関する部分は、いずれもこれを採用することができないし、甲第一一号証、第一二号証の一・二、第一六、第二一、第二九号証及び当審における検甲第一号証のうち、本件各瑕疵の存在を肯定する部分は、本件事故前の本件車両の状態及び本件事故の状況に関する不正確な情報を前提としており、反対趣旨の乙第一〇ないし第一二号証及び証人藤木憲夫の証言に対比して到底採用することができない。

(五)  以上によれば、本件事故当時、本件車両に本件各瑕疵が存在していたものと認めることはできず、他に本件事故が本件車両製造上の被控訴人の過失に基づく故障ないし欠陥によって生じたことを認めるに足りる証拠はない。」

三  当審における新たな争点について

控訴人は、本件車両には本件事故当時エンジン負圧利用制動補助倍力装置の欠陥による倍力喪失という「サーボ失陥」があり、これが本件事故の原因の一つとなっている旨主張する。しかし、乙第一二号証、証人藤木憲夫の証言及び控訴人本人尋問の結果(一部)並びに弁論の全趣旨によれば、ブレーキの倍力装置とは、エンジンの吸気管負圧を利用して、ブレーキペダル踏力を増幅し、制動効果を発生させる機構であること、補助倍力装置の倍力が喪失した場合には、ブレーキペダルは著しく重い状態になること、ブレーキの重い状態を感じた運転者は、車両を停止するために強くブレーキを踏むことになるが、控訴人は、本件事故当時、本件車両のブレーキが著しく重かったと感じたことはなく、本件事故時に倍力機能が減衰していたことを窺わせる形跡はないこと、仮にスロットルバルブが全開になったとしても、倍力装置の負圧室に負圧が溜められており、チェックバルブの機能により、直ちに倍力は喪失せず、徐々に減衰されるようになっているため、ブレーキペダルを踏めば、少なくともスロットルバルブ全開直後の一回目の操作では確実に倍力装置は働くこと、負圧室内の負圧を使い切るには二ないし三回のブレーキ操作を要すること、控訴人が主張するように四重故障(本件各瑕疵の同時存在)が発生し、スロットルバルブが開いた状態になったと仮定しても、八キログラム程度の軽い踏力で車両を充分停止できること、増速状態にあった場合でもブレーキを軽く踏み、車速を時速一三キロ以上減速すれば、キャンセル機構によってASCDは解除となり(アンダーカット)、また、車速を時速五〇キロ以下にすれば、同様ASCDは解除となること(ローカット)、控訴人は、車両の増速に気が付いた時に直ちにブレーキを踏んだと供述するが、そうであるならば最初のブレーキングではチェックバルブの機能により倍力装置が働き、充分に減速が可能であったこと、また、その後、仮に倍力装置が次第に減衰して機能しなくなったとしても、ブレーキは次第に重くなるものの、三〇キログラム程度の踏力でブレーキ操作をすれば減速・停車することが可能であったことが認められる。

右認定の事実によっては、本件車両に本件事故当時ブレーキ倍力装置に欠陥があったこと及びこの欠陥が本件事故の原因の一つになっていたことを認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

第四  結論

以上によれば、控訴人の本件請求は理由がないから、これを棄却した原判決は相当であり、本件控訴は理由がない。

よって、本件控訴を棄却し、控訴費用の負担について民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官渡邊昭 裁判官河野信夫 裁判官小野剛)

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